藤原康晴の一激入魂 立場が変われば人生も変わる
カラテ・ライフ2013年11-12月号


藤原康晴

ふじわら・やすはる/
長野支部支部長。六段。
1957年4月11日生まれ。長野県出身。

連載2回目は、昇級・昇段について触れたいと思います。

私が総本部道場へ通っている時は、一日3回の稽古が行なわれ、日曜日も午前中のみクラスがありました。休みなく道場へ通えますので、出席回数は、年間300回を超える稽古熱心な道場生もいたほどです。すべての昇級・昇段審査に立ち会われた大山総裁は、技のうまさだけではなく、空手に対する熱意を重視されていたように思います。私が昇級審査を受けさせていただいた時も、「君は出席回数が多いね」と総裁に声をかけていただいたことを覚えています。

当時は飛び級で級が上がることがよくありましたが、空手に取り組む姿勢・熱意が大きく影響していたように思います。そのバロメーターのひとつが、出席回数(日数)ではないでしょうか。毎回、課題を持って稽古に励み、心身を錬磨する。日々の積み重ねこそが、帯の色を決めるといっても過言ではありません。

昇段審査は、総裁が10人連続組手を採用されました。私が茶帯の時だったので、昭和53年くらいだったと記憶しています。初段が10人、弐段が20人、参段が30人…とお決めになりました。採用された直後は、三瓶啓二先輩が弐段の昇段審査を受ける時だったと思います。最初に挑戦された、あの20人組手は壮絶の一言に尽きました。

私が初段を受審する時は、受審者同士で10人組手を行なうことになりました。総裁の前で、しかも夢の黒帯取得となれば、みんな必死です。想像を絶する過酷な内容となり、どうにか黒帯をいただけることとなりました。私は2年かかりましたが、三好一男先輩は1年の最短記録を作られていますので、さすがですね。

普通の道場生が昇段審査に挑戦するためには、半年か1年をかけて計画を立てるといいでしょう。基本・移動・型の見直し、体力強化、すべての面において準備をしておくことが大切です。 昇級審査もそうですが、とくに昇段審査は気軽に受けてみようと思うほど、簡単なことではありません。そのことをよく理解したうえで、ぜひ挑戦してみてください。

私が白帯の時、青帯の先輩に組手で歯が立ちませんでした。でも、しばらくして飛び級で黄帯に昇級すると、不思議なことに勝てるようになったんです。これまで一番下で「押忍」と挨拶してきたのに、白帯から挨拶をされる側になり、自覚がついてきたのかもしれません。少しの帯の違いで、こんなにも立場が変わることに驚きました。

昇級・昇段をすると、帯の色が変わり、金線が増えるだけではなく、自覚が備わってきます。「黒帯を取ってからが、本当の修行」と大山総裁は言われましたが、帯に負けない実力と人格を持つことが、空手家、武道家としての本懐だと思います。本当の昇級・昇段はその後の取り組む姿勢によって達成されるのです。